Posted by ねこちゃん on 2001/09/28 21:00:51: In Reply to: 死から来る信仰 Posted by 迷える子羊 on 2001/09/28 14:49:56:
> 意識が目覚めようとしない限り、意識は死んでいる。 まだ、生きてもいないのなら求めるまでもなく、死はすでにそこにある。 日々人は生きて、日々人は死に向かっている。 肉体的な離脱は自ら求めるべきもなくいずれ訪れる。 よりよく生きようとする意識だけが、よりよく死を迎え得る。 一休はいった「門松は、冥途の旅の一里塚、目出たくもあり、めでたくもなし。」と > >神を信じるにしてもどの神を信じるべきかが分からない。ヴィシュヌ、シバ、アフダマズダ、イエス、アッラ−などなど、どの神にも敬意に感じるが信仰は感じない。私も分かっている、無神論者がどれほど悲しいことか。 > 祈りとは、自らを推し量ること。 あなたが愛に満ちていれば、その祈りは愛に満ちている。 あなたが怒りに満ちていれば、その祈りは怒りに満ちている。 理解はあなたを通してしか訪れない。 あなたの意識に内在しないものを見い出すことはない。 どの神に出会おうともそれはあなた以上を写し出す鏡とはならない。 解釈は決して自己の限界を超えることはないからだ。 神の存在?信仰? こう言った者がいる。 「肯定は、愛の道に至る。否定は、知識の道に至る。」と。 いずれにせよ、議論によってもたらされるものではない。 信じるか信じないかは、あなたの心の問題であり、 理解は意識の高みの問題である。 ここでは、神との対話の問題を扱わない。 ここでの対話は、人間の範囲を超えない。 宗教サイトへ投稿される事をお薦めします。
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